吉祥寺東町の法政跡地問題を考える

各地で高層マンション建設を強行、地域住民との紛争多数。モラルゼロの最低マンション専業ゼネコン・長谷工コーポレーションによる、吉祥寺東町・法政高校跡地の高層マンション建設計画を追跡するブログです。

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景観にかける

今回のエントリのタイトルは、「20mを超える部分を撤去せよ」という東京地裁判決で一躍有名となった、東京・国立の明和地所マンションに対する住民運動を主導した「東京海上跡地から大学通りの環境を考える会」の代表を務められた石原一子さん(元高島屋常務)の著書から拝借しました。

景観にかける―国立マンション訴訟を闘って景観にかける―国立マンション訴訟を闘って
(2007/10)
石原 一子

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本ブログは、あくまでここ吉祥寺東町で起こっている「長谷工迷惑マンション問題」を世に問うがために、その経緯やマンションデベロッパー各社の悪辣振りをご紹介することを主眼としており、これまでも何冊かの本をご紹介はしましたが、それは文脈の中で参考図書としての位置付けとしてのものでした。しかし、今回はこの本の余りの素晴らしさに、マンション問題に関わっておられる方々は勿論、それ以外の方にも本書を是非お読みいただき、景観・住環境をもう一度考え直す契機としていただきたいという思いからご紹介させていただきます。

国立マンション問題の経緯は余りにも有名ですので、ここでご紹介する必要はないかと思いますが、この問題が景観法制定の大きな原動力となったことは、衆目の一致するところです。本書は、その運動を主導した「考える会」の代表で、女性初の高島屋役員でもある筆者の自伝から始まります。そのバイタリティに圧倒され、第2章までを読むと「こういう人が代表だったから、国立問題はあそこまでの成果を挙げることができたんだ」と思い始めてしまいます。しかし、第3章以降の具体的な活動に話が移っていくと、それは誤解だったことがすぐに分かります。勿論、経済人として著名な石原さんが代表だった有形無形のメリットもあったかと思いますが、それ以上に様々な人たちの活動がこの運動を支えていたことが縷々語られており、むしろ筆者は一歩下がった形になっていると言っても過言ではありません(謙遜もあるのでしょうが)。

是非、実際の本をお読みいただければと思いますが、印象的だった部分をかいつまんでご紹介します。

 これだけの大規模な建物が建つことによる危険や実害について調べられていた。その内容は、明和の敷地内には東西に横切る3本の6.6万ボルトの高圧線が通っているが、万が一火災が起きた場合、消火活動に支障はないのか、また安全性は確保できるのかなどが問題点として挙げられた。(中略)東京電力からは「強風時には高圧線が横に大きく揺れ、危険区域は最大でバルコニーに80センチまで迫る。消火活動は非常に困難で危険をともなう」という回答があった。(P.125)



この高圧線は建物のベランダから8mしか離れていないそうです(P.144)。因みに、法政跡地マンションは、4階屋根は高圧線真下、5階以上の一番近接する場所の高圧線との離隔距離は約10.5mです。これ以上の説明は不要でしょう。

(民事裁判における筆者の証言より)
 大学通りの景観による利益は享受しながら、他方では、これを破壊する高さ44メートルものマンションを建築することは、誰が考えても、暴挙という外はありません。明和地所は、マンションの完成後は、これをことごとく販売して売り逃げするということを見逃すわけにはいきません。販売後の大学通りがどうなろうと構ったことではないというのが明和地所の基本的立場というものです。(P.160-161)



皆さん、「大学通り」をご自分の街に、「明和地所」を長谷工をはじめとする問題デベロッパーに置き換えてご覧下さい。見事なまでに、本質を言い当てているというか、マンションデベロッパー各社の金太郎飴体質が顕在化しているというか… 正直、これ程までに反社会的な業界が他にあるのだろうか?と自問自答せざるを得ません。ここ吉祥寺東町でも、「周辺は一種低層の街並みが拡がる。周囲に開けた見事な眺望」とか何とか言って、自らの存在がその街並みと調和しないことは棚上げした広告を打ちまくって、近隣住民の神経を逆撫でし続けるつもりでしょう。

 国立のマンション裁判は、大きな二つのものを勝ち取った。
 一つは、「建築阻止を主要な目的としたものであったとしても、本件地区計画及び本件条例の内容自体については、その違法を問うことは困難といわざるを得ない」という根本判決である。件地区阻止を主要な目的とした地区計画でも違法を問うことは困難である、との意味は大きい。まち破壊に対しては、計画が明らかになってからでも決して遅くはない。地区計画・建築条例によって、住民が自分たちのまちを守る手段が高裁でオーソライズされたのである。明和は、この判決を上告していない。したがって、この部分は確定判決になっている。
 もう一つは、最高裁が(中略)個人の景観利益を認めたことである。言うまでもなく、この意味も大きい。
 (中略)6年間に及んだ国立のマンション裁判は、市民運動にとって大きな二つの武器、すなわち「地区計画」と「景観利益」を準備したことになる。(P.202-203)



残念ながら、武蔵野市においては、その大きな武器の一つである「地区計画」が、小役人どもによって違法に骨抜きにされ、ほとんど用をなさなくなったことはこれまでに見た通りです。どこまで役人というのは、住民無視で大企業寄りなのでしょうか。折角の筆者の「準備」は、行政のさじ加減一つで骨抜きにされてしまうという悪しき先例にならなければ良いのですが。

(「都市計画家協会」から大賞を受けたことに対して)
 三、「マンション建設後もねばり強く運動を続けていること」と選定理由にあるのは意外な気がした。
 なぜならば我々にとっては最後まで、つまりマンションの20メートル以上の部分の全面撤去を見るまでは活動は終わらないと考えていたので、マンション建設後も、と評価されるのは意外であった。しかし、翻って考えてみると、世間一般のマンション問題では、建ってしまうと運動は終わってしまうという現実があるのだなとも思った。だから開発業者は強引に建ててしまって建て得を狙う。そういえば我々の耳にも、もう建ってしまって、運動をやっても無駄じゃないか、との声が聞こえてきたこともあった。
 しかし、市民の反対や市の指導を無視し、裁判の早い段階で違法建築物と認定され、景観を大きく破壊している建物をそのまま見過ごすわけにはいかなかった。(P.241-242)



ここには、今後の運動の方向性が啓示されているような気がします。24mのマンションは、やはりここ吉祥寺東町にはふさわしくない。そう思えば、たとえ建った後でも地区計画(条例)の改正を目指して運動を続けていく。こうした活動を皆が積み重ねることこそが、この社会から悪辣マンションデベロッパーを駆逐する、唯一で最大の手段なのかも知れません。先程の地区計画の経緯を、悪しき先例にしないためにも。

 私は、「市議会レベルでは党派は絶対不要」と、大声を上げて叫びたい。(中略)このマンション問題の根が深かったのは、野党である自民・公明党会派多数と少数与党の対立となっていたため、市民の大きな支持を受けた東京生活者ネット出身の市長が市民本位の地方自治を貫けなかったことだ。本当の、国立の市民派がしっかりしなくては駄目だ。国立市民のことを考えない人は市議会に出る資格がない。(P.249-250)



完全に同意見です。市議会の会派構造といい、武蔵野市でも同じ問題が障害となりました。但し、市長の行動力・リーダーシップには格段の差があるような気がしますが…

如何でしょうか。ご興味をお持ちの方は是非ご一読を。最後に、最近読んだ景観関連の図書としてもう一冊、岩波新書の「まちづくりと景観」を併せてご紹介しておきます。筆者の田村明氏は、横浜市にいるときに旧建設省の役人に「街を美しくしようなんて、けしからん」と言われたことを原体験として、既に決定していた都市計画を変更させた経歴の持ち主ですが、本書でも深く同意する箇所が少なくありませんでした。そのうちいくつかをご紹介させていただきます。

まちづくりと景観 (岩波新書)まちづくりと景観 (岩波新書)
(2005/12)
田村 明

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 遠景からの都市景観として一番目立つのは、都市のスカイラインで、都市全体のイメージを決める。都市全体を印象づけるスカイラインは、特定の個人のものではなく、都市の共同資産というべきものだろう。超高層ビルを造ることは、その共同資産に、ずかずか無条件で闖入して破壊することになりかねない。市民の共同資産を、特定の事業者だけの都合で壊されては困る。自分の土地でも自由にできるのは一定の高さまでで、それ以上の高さには、共同体の同意を必要とするのが筋だろう。こうした考え方がないままに高さ制限を撤廃してしまった立法や行政は、「まち」全体を考えることを放棄していたのだ。(P.78)



下に掲げた法政跡地遠景をご覧いただければ、スカイラインの問題は一目瞭然でしょう。長谷工が設置した防音壁ですら、高さは17.5mほどです。この約1.5倍の高さの建物が建つことが、果たしてこの低層の街並みのスカイラインに調和するでしょうか? また、共同体の同意に基づく地区計画を一方的に骨抜きにした武蔵野市政は、まさしく「『まち』全体を考えることを放棄していた」とは言えないでしょうか?

吉祥寺東町のスカイライン
(吉祥寺東町のスカイライン(中央白壁が解体中の法政校舎)、クリックで拡大)

 生活者の目から景観を見れば、高層ビルはとくに必要ない。高層への憧れは、生活感覚をなくしたバーチャルな大衆願望にすぎない。リバプールでは高層住宅に対して、景観のバランスも壊すとして、激しいバイオレンスがあり、多くの窓が破壊された。いまビルは撤去されている。シェフィールドは鉄鋼の街だ。超高層ではない10階ぐらいだが、300メートルも連続する万里の長城のような住宅をつくった。建てた当時は近代的なデザインと賞賛されたのだが、30年ほどで撤去された。周辺の「セミデタッチ」(2戸で1棟の建物)の美しい2階建てで建ち並ぶ住宅地と違和感がありすぎたのだ。
 高層ビル、超高層ビルはもちろんあっていい。しかし、都市全体至る所で奨励するのはどうだろうか。高層化が可能な区を限定するべきではないか。(P.158-9)



10階建てではなく8階建てで、300mではなく122mですが、この違和感のありすぎる建物も30年ほどで撤去されるような、成熟した社会が到来することを願わずにはいられません。
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テーマ:住宅・不動産 - ジャンル:ライフ

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