吉祥寺東町の法政跡地問題を考える

各地で高層マンション建設を強行、地域住民との紛争多数。モラルゼロの最低マンション専業ゼネコン・長谷工コーポレーションによる、吉祥寺東町・法政高校跡地の高層マンション建設計画を追跡するブログです。

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御用学者、出動。

前回のエントリの最後で、「間違っても、自らの経営判断のミスで沈没しつつある不動産業界を救済すべく、更なる規制緩和に走るなどということがありませんように…」と、景気悪化に便乗した生活環境・景観の悪化を伴う規制緩和に対する懸念を示しましたが、早速にも御用学者がそのような動きを開始したようです。

17日の日経新聞朝刊の「金融危機 インタビュー」に、政府の経済財政諮問会議の民間議員を務める八代尚宏・国際基督教大教授が登場していました。インタビューの中で、ここで問題にしたい箇所は以下の通りです。

――政府・与党は追加の経済対策をつくる。
「先にまとめた総合経済対策にある定額減税の規模が固まっていない。さらに何を積み増すのか。公共工事を積極的にやり始めたら、簡単にはやめられない。即効性のある事業には無駄なものが多い。小手先の対策ではなく、長期的な視点で需要を生む対策をすべきだ」
「例えば住宅の容積率を緩和してはどうか。緩和を宣言するだけでも、マンション建設への動きが出る。そもそも昨夏に建築基準法を改正した時に政府の準備不足があって、建設不況につながった。老朽マンションの建て替えにもつながる施策であり、緊急事態の今こそ提案すべきだ」



この部分だけを読んでも、いかにこの八代氏が現実の経済活動に疎いかが分かります。昨今のマンション不況は、そもそも造り過ぎによる過剰在庫が問題なのに(それが証拠に大幅に売り出されるマンションが減少しても在庫は増加する一方)、更に容積率を緩和してマンションを造れと言う。建設不況を建築基準法改正のせいにしている点にしても、その本質は需要を見誤ったことによる過剰在庫にある(つまり、業界の自己責任)にも関わらず、建築基準法改正(=官製不況)に責任を転嫁する。業者への利便を図る以外に、何ら確たる主張はない、典型的な「御用学者」の姿がここにはあります(なお、誤解のないように申し添えますが、建築基準法改正による建築確認の遅れがマンション不況を加速させた面は確かにあります。但し、これは確認の遅れによって売り出しが販売が低調になった時期に重なってしまったというだけで、問題の本質が過剰なマンション供給にあることには変わりありません)。

そもそも、この不況対策としての容積率の緩和という考え方自体、何ら目新しいものではありませんし、その根拠も非常に怪しいものです。以前のエントリ「長谷工と不愉快な仲間たち」でもご紹介した「『都市再生を問う』ー建築無制限時代の到来ー」という本には、いかにこの容積率の緩和がいい加減な理由付けでなされてきたかが喝破されています。

理論矛盾の都市政策(P.20)
 当時(1986年)は、安藤(太郎住友不動産会長)氏がいっていたように、地価が高騰しているのは、土地の供給が少ないからで、旧国鉄用地などをふくめ公有地も放出し、容積率をあげれば供給が増えて土地が安くなるという議論が財界ばかりでなくマスコミや学者の間で横行していた。中曽根内閣の都市政策「アーバン・ルネッサンス」はその政治的表現であった。
 しかし、橋本龍太郎内閣で、このような「土地の理論」は再び180度転換した。橋本政権は1997年2月10日の閣議で「新総合土地政策推進要綱」を決定し、土地政策の重点をバブル時代から続いていた地価抑制策から「土地の有効利用」に転換したのである。小泉内閣の都市再生本部はその流れの上にある。
 橋本政権の具体的な政策の中身は、旧国鉄用地の再開発などの「優良事業」の容積率を割増しするなど、低・未利用地を有効活用するほか、密集地の再整備の促進や、定期借地権制度の普及などだった。
 バブル時代は地価が高騰しているから公有地を放出し容積率を上げろの大合唱だったが、こんどは地価がバブル崩壊以後は急落しているから公有地を放出し容積率を上げろということになったのである。ここに「土地の理論」のいいかげんさが端的に証明されている(後略)。

「都市再生」を問う―建築無制限時代の到来「都市再生」を問う―建築無制限時代の到来
(2003/04)
五十嵐 敬喜、小川 明雄 他

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もうそろそろ、住宅政策を景気対策としてだけ語るのは止めにして欲しいものです。この調子では、福田内閣のときに提言された「200年住宅ビジョン」辺りにかこつけて、「良質な住宅ストックの供給」のために「更なる容積率の緩和が必要」だとでも言い出しかねません。既に世帯数を大幅に超過している住宅戸数の現状を考えれば、そんな政策が不要であることは明白でしょう。そもそも、ステレオタイプに唱えられる「住宅投資は裾野が広く、経済波及効果が大きい」という主張も眉唾物です。90年代に散々住宅減税を拡充しても景気高揚が実現できなかったこと、昨今のマンションバブル崩壊の実体経済への影響がほとんど見られなかったことからも、この点は既に裏付けられていると思いますが。まあ、関係業界の方々は決して認めないと思いますけど。因みに、建築家の隈研吾氏はその著書「負ける建築」の中で、このように語っています。

 (前略)同様にして、スケールに対する精緻な計算も20世紀建築を破綻させていった。先述のように建築の大きさがケインズ政策の拠り所である。大きくてヴィジブルなものを中心にして、政治も経済もドライブされていくというヴィジョンであった。その大きさゆえに乗数効果が生まれ、景気の浮揚も可能となったのである。しかし、今や経済全体のスケールも、また速度も、ケインズの時代とは比較にならないほど増大した。各国経済を区画していた障壁は消え失せ、グローバリゼーションという名の世界経済の接合が、経済というもののスケール感覚を変質させてしまった。建築は相対的にきわめて小さい存在となった。このちっぽけなものを用いて、経済全体を浮揚させる乗数効果など、とても期待できないのである(後略)。(P.15)

負ける建築負ける建築
(2004/03)
隈 研吾

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一連のサブプライム問題に端を発した米国発の金融危機が、日本経済に及ぼしている影響の大きさを考えれば、この指摘は正に正鵠を得ていると言えるのではないでしょうか。また、隈氏は養老孟司氏との対談「『ともだおれ』思想が日本を救う」(閲覧には会員登録が必要)の中で、次のように語っています。

―― 集合住宅を1軒1軒分譲するという発想がことのほか強いのは、日本ならではですか。

隈 分譲比率は日本が圧倒的に高いと思う。

養老 でも会社の立場でいったら、ビルを買うことはあってもフロアを買うことってないよね、考えてみると。

隈 分譲マンションは普通だけど、分譲オフィスってないですね。

養老 ビルそのものは公共的なものなのに、その公共的な場所の一部分を私有したい、というへんな感覚が育っているんだよ。

隈 年月が立つとその辺りの矛盾が大問題になっていくんです。マンションって、建て替えがしにくいでしょう。建て替えられない場合は最終的にはスクラップかスラム化しかないのですが、分譲されるときには、あたかも一生の安心を買ったような気になってしまう。20世紀の最初に住宅ローンで幸せな一生を約束するという上手なウソをアメリカが発明したわけで、そのアメリカ製の幻想が、日本で一番うまく効いちゃったわけですね。

養老 買うときは、コンクリートだからいいだろう、とね。

隈 むしろコンクリートだからこそ、実は建て替えも簡単にできない。頑丈だということが、逆にマイナスの方に振れていくわけですが、買うときはそれに気付かない。

養老 杉の植林と同じだよね。植えるときは5年で大きくなるのはいいじゃないか、ということでしょう。でも50年後に花粉でみんなが苦しむというのを全然、分からなかったわけだよね。

隈 基本的に都市の中というのは、賃貸という形で家族形態の変化とか、ライフスタイルの変化とかに応じて、フラフラと移動しながら住むようにできているんです。都市環境では、経済状況だってしょっちゅう変わるし、それにつられていろいろなことが変わっていくから。都市の中のエリアでも流行りすたりがありますし。

養老 それはそうだよね。

隈 都市という生き物は、住宅を分譲して資産だよ、と言った途端に、大きな病を抱え込むことになります。

養老 流動性がなくなることだからね。都市という生命体の代謝が悪くなる。

隈 日本人は景観としても、ディテイルとしても、豊かな住文化を持っていたのに、どうしてそれをぶち壊しにするようなマンションを乱造しちゃったのか、と外国人は言います。日本ファンの人ほど失望していて、オフィスビルなんかはまだ見られるけど、日本のマンションは一番見られないと彼らは言うわけです。

 それは、資産として売るためにはどうしたらいいかという、分譲のマーケティングを徹底した末の光景ですね。

養老 あれをみんな求めているんですかね。

隈 あの景観に満足している人はいませんが、実際に買う人はたくさんいるわけです。ですから売る技術だけは、ものすごく進歩しちゃったんです。

 似たマンションが建ち並ぶ場所では、ほかよりもこういうふうによく見せるとか、駅から遠い立地だったら、別の便利さをくっつけるとか、そうやって、できるだけ高く売る技術。その技術はいまだに有効だから、買う人がいるんです。日本人は、そういう、いったん固定された課題の中での競争となると、異常に頑張っちゃう。

養老 分譲という手法は、高度成長期に大型のニュータウンをつくるときに、金融のシステムと一緒につくっちゃったシステムだよね。

隈 確かにそのシステムが経済成長期には、内需拡大のドライブになったんです。高度成長というのはインフレ容認型の経済ですから。消費者化する日本人に向けて、純粋な金融資産だけではお金は増やせないよ、土地を持っていないとお金が目減りするよ、という幻想を与えたんですね。

養老 金本位制ではなく、土地本位制だね。

隈 おまけに現実には賃貸でろくな住宅が見つからない。それなら賃貸よりも買った方が、資産志向も満たされるし、好きな環境にも住める。そのように幻想が補強されたんですね。企業にとってみればそれは思うツボで、賃貸よりも分譲の方がすぐにお金を回収できる。分譲で投資が処理できたらこんな楽なことはない。

養老 なんとも手離れのいいビジネスだねえ。

(「アメリカ製の幻想が、日本で一番うまく効いちゃった」より)



見事なまでに、マンションデベロッパーが必死に醸成しようとしている共同幻想を喝破しており、痛快ですらあります。

話を御用学者・八代氏に戻します。八代氏は、「ホワイトカラー・エグゼンプション」問題(いわゆる「残業代ゼロ法案」)で一躍名を馳せたことをご記憶の方も多いと思います(この問題に対する八代氏の主張はこちらを参照)。その主張は、正しい部分もあるのですが、そもそも現実の企業における労働の実情との乖離が著しく、机上の空論の域を出ておらず、それが激しい批判の元になっているという点を理解されていないようです。このような主張が、経済界の意向を酌んだ政府の筋書きに利用され、結果として御用学者と揶揄されることになっている訳です。

しかし、八代氏はほぼ一貫してこのような強硬論を唱えており、その点では政府におもねて主張を変えるという典型的な御用学者ではなさそうです。むしろ、全てのモノやサービスを「財」に置き換えて議論する経済学にあまりにも忠実であり過ぎた結果として、「労働」というサービスには「労働者」という生きた人間がいることや、「住宅」というモノには「人の生活環境」という基本的人権に関わる問題が内包されていることが全く理解できないのでしょう。その意味において、所詮は書生論に過ぎない空疎な主張です。

同様の傾向は、以前のエントリ「迷惑マンションの圧迫感についての一考察」でもご紹介した福井秀夫・政策研究大学院大学教授にも共通しています。恐ろしいのは、このような現実の痛みを理解できない主張を繰り広げる御用学者たちが、政府の各種諮問会議の委員となって、経済界の便宜を最大限に図っていること、そしてそのことが及ぼす悪影響に全く気付いていない(ないし気付かない振りをしている)ことです。彼ら、御用学者の動向には十分に注意が必要です。彼らの机上の空論が、政府にうまく利用されて経済界の自分勝手な要望を実現していくことになるのですから。

個人的には、無駄な規制をなくしていくという意味での規制緩和には大いに賛成です(例えば、日本よりも規制の厳しい国で認可されている薬品や食品添加物の認可取得に、多大なる労力とコストが掛かる点など)。しかし、規制緩和によって小さな政府を目指すにしても、国民生活の観点から緩和してはいけない規制も存在する点を忘れてはならないでしょう。既に、一定の豊かさを手に入れている日本が目指すべき生活の質的向上という観点から、景観の問題などはその最たる物だと考えますが、皆さんはどうお感じになりますか?
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テーマ:住宅・不動産 - ジャンル:ライフ

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